1957年2月生まれ

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あーちゃん。

母が亡くなって14年。
今日は、母の命日。


おもしろい母だったなぁ~
気さくな人だったなぁ~
男らしい人だったなぁ~
なきごとを言わない人だったなぁ~
自分のために、お金を使わない人だったなぁ~
豪快な人だったなぁ~
太っ腹な人だったなぁ~
そして、
よく食べる人だったなぁ~


実家は、貧乏暮らしだった。
お金に縁がなかった。
だけど、私は母の口から
「お金がない」
その言葉を一度も聞いたことがない。
それって すごく、難しいことじゃないだろうか?
お金持ちは別として
貧乏暮らしなら、ついつい
「お金がない」
そう言ってしまうと思う。
私も母のマネをしたかったけど
「お金がない」
この言葉を何度も言ってしまう。

私の母は勉強はできなかったと思うが
心の出来は最高だったと思っている。
小さい頃、一人ブツブツ言ってる母を見たことがある。

「今月、あと4000円か・・・どうやって暮らそう。
 ま、何とかなるか・・・」

そんな、ひとりごと言ってるのを聞いたことがる。
マンガみたいな話だけど
そんな、ひとりごとを言った後

「こんにちは~ あ~ちゃ~ん、いる?あ~ちゃ~ん」

母の名前は <<あさえ(本名)>>
みんなから<あ~ちゃん>って呼ばれてた。

「こんにちは~ あ~ちゃ~ん、いる?あ~ちゃ~ん」

「はい、〇〇さん・・・どうしたん?」

「あ~ちゃん、お金・・・貸してくれへん?」

「え?いくら?」

「4000円」

「うんうん、ええよ~ 4000円な。待ってや。今、持ってくるから」

「すまんなぁ、来月 きっと返すから」

「かまへんよ~いつでも、え~よ~」



母のそんな姿を目の当たりにしたことがある。
借りに来た人は、なんで4000円という半端な金額だったのか?
マンガみたいな話だけど、実話。
その後、母は どうやって生活したのか?
父や幼い私達は何を食べたのか?
そんなのは覚えてないけど
母は、困った人を ほっておけなかったんだろうな・・・
優しい人でした。
そしてマンガみたいな人でした。
色んな勘違いも甚だしかった。
色んな物の名前の覚え違いも甚だしかった。

ポカリスエットはポカリエスットって言ってた。
つぶつぶオレンジはぶつぶつオレンジって言ってた。

ある日・・・

「〇〇子(私) あそこに、大きなフライモもんの店ができたらしいぞ。
 色んなフライがいっぱいあって、うまいらしいぞ。行こかえ!」

そう言うので母と一緒に行ったんです。
そこは<ベターライフ>さんというホームセンターでした。
今では、もうありませんが(どこかにあるのか?店名が変更したのか?)
ベターライフを勝手にベターフライと勘違いして
天ぷら屋さんだと思ったみたいです。
こういうことが日常茶飯事の母で・・・
あきれることがいっぱいで、いつも笑ってました。
子供たちは、母が大好きだったって言います。
おばあちゃん子でした。

「ばあちゃん、怒ったら ホウキを頭の上に持って
 こら~~~!って追いかけてきたでな。
 怖かったけど、マンガみたいで笑けたわ~」

そんな話、子供から何度も聞いたことあります。
おばあちゃんの作るごはんがメチャ美味しいと言ってたけど
母は料理が大の苦手だったんだけどな・・・(^^;)


私の中に、いつまでも生き続ける母。
今も、とても尊敬しています。
あなたのように年老いてからも
ず~っと、心がきれいなままの人間になりたいものです。
笑顔しか思い出せない母です。
苦しい生活で笑顔が少なくなっても仕方なかったのに
なのに・・・いつも笑顔だったんですね。

「あーちゃんは、いつまでも私の誇りです」

私が、そんなことを言ったなら

「なんな?そらや~~(それは、何なんですか?)
 食うたら、うまいんか?」

そう言われそうです あははは~(^^)



            


            母の好物、黒糖の麩菓子
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「どうしたん?何かあったん?必死な顔して」

「やられたんや」

「何が?」

「猫や、猫にやられたんや!」

「は?」

「仏さんに供えてた、ふーちゃん やられた」

「へ?ふーちゃん?」

「そや、戸 開けてたから 猫にやられた・・・ふーちゃんやられた」

その時は、何言ってるのかわからなかったけど

この麩菓子のことだったんですね(><)
あとあと、わかりました。


            母の好物、ふーちゃん
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それから、母にとって この世での一番の高級料理は<海老フライ>
隣組で旅行に行ったとき、夕食に<有頭海老フライ>が、出たそうです。
お風呂に入ってから、ゆっく~~り食べようと残してたらしいけど
お風呂から戻った時には、御膳は片づけられ・・・

「うら(自分のこと) あの海老フライ後で食べようと思ってたのに」

そりゃ(^^;)夕食の時間が終わったら御膳は片づけられるやろ^^

「あの海老フライ・・・海老フライ」

それは、その後2~3年は言ってたと思います(^^;)




こんなハチャメチャな母でしたが
いい人でした。
Commented by aoi at 2016-09-16 21:42 x
こんばんは
お母さんの命日が夫の誕生日と同じ日ってこと忘れてました。
なんか不思議だよね みるくさんの誕生日は私の弟の命日だしね。
お母さんの性格 たくましさを感じますね。
なきごと言わないと太っ腹だけは私の母と同じかな 
父と結婚後は生活は楽ではなかったらしいけど 父の甥っ子が大学に入るのに 親代わりのように大学を出るまでお金をだしてあげたらしいから、太っ腹と言えばそうかなと思ったり、人から好かれる性格でしたから毎日ご近所さんが遊びに来てたり お祭りお正月もいつもお客さんが我が家に来て賑やかでした。
母と似たのは姉ですね世話好き(笑)
みるくさんのお母さん 覚え間違いや勘違い 私と同じで笑ってしまいました。
私はみるくさんのお母さんより 言い間違いが多いと思うわ 夫にも毎日一度は間違った事を言ってると・・・
みるくさんはお母さんに似たのかな 明るくて気さくに太っ腹だものね。
Commented by らいぐー at 2016-09-16 22:30 x
いい思い出ですねぇ~
亡くなった人への一番の供養は、思い出して話すことらしいですよ。
お母さん、あちらの世界で照れてるかもしれませんね♪
うちの場合、ばーばは元気だから
まだまだ思い出話にはなりそうもありません。
(;^ω^)
Commented by rakki_618 at 2016-09-17 12:25
aoiさんへ

こんにちは~
そうなんですよね~!
aoiさんと私の色んな記念日とか色んな出来事あった日が
よく重なっているんでしたよね。最初、よく驚きましたものね。
私の母は、何を楽しみで生きてきたんだろう?って
よく思ってました。朝の早くから工場勤め・・・
帰ってきたら、深夜の工場勤め・・・今、思うとしんどかったろうな。
それでも、なきごとってのを言わなかったので
何か、自分を奮い立たせる楽しみでもあったのかな?
ひとりごとを聞いたのも・・・私がいることを知らないで
ひとりブツブツ言ってたんです。それを私がコッソリ見てしまい・・・
母のしんどそうな姿を見てしまいました。
体の弱かった私だったので、よく学校から母の工場に電話をしてもらい
早退の迎えに来てもらいました。工場で仕事中だったのに
大変だったろうな・・・母の話は、いくらでも出てきます^^
aoiさんのお母さん、明るい人だったんですね~(^^)
aoiさんの覚え間違い・・・そうそう!aoiさんも、たまにあって
そこ、可愛い~~って思ってしまします(失礼!)
aoiさんの魅力は弱そうに見えるけど「芯が強い」ってことだと
私は、いつも思っています。見習いたいところです!
Commented by rakki_618 at 2016-09-17 12:35
らいぐーさんへ

こんにちは~
母の思い出は(多くの人が、そうでしょうが)
ほんと、いっぱ~~~~いありますね。
ある時、母と道を歩いていると・・・
見知らぬ人が「氷が欲しい」って困っていて
氷を売ってる場所を説明したのですが、わからず
「え、え~~~い!わいが行ってきちゃるわ!」って
走って、氷屋さんまで買いに行ってお金を立て替えたり・・・
母は、ほんとにけがれのない純粋な人でした。
それが一生続く人って、なかなかいないと思うんです。
でも・・・不幸そうに見えました。
人生が、二~~~度あれば~~~♪ って感じです^^
でも、なんで いつも笑ってたのかな・・・えらいなぁ。
ばーばさんが元気でいてくれるって、ありがたいですよね~。
ほんと、いいなぁ~って思いますよ。
私・・・母と、もっと過ごしたかったですもん。
by rakki_618 | 2016-09-16 20:47 | その他のこと | Comments(4)

めざせ!笑顔の多い日々


by rakki_618